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3.11 [きのこ0%]

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そろそろ終点の羽田空港だ。

京急空港線の国際空港駅に停車、プラットホームドアが開く、電車のドアが開く、大きなキャリーバッグを引きながらぞろぞろと人が降りていく。と、ドアが閉まろうとした瞬間車両が大きく揺さぶられた。地下駅のホームではあちこちで悲鳴が上がり一斉にしゃがみこむ。車両は大きく左右に揺さぶられ続ける。長い、一向に揺れは収まりそうにない。今にして思えば数十秒に過ぎなかったのだろうが、揺れは数分間も続いたように思えた。

携帯はつながらない。Foma接続のモバイルルータを使ってPCからはネットに接続することができた。そうか東北が震源か、周りの乗客に画面を見せると動揺が広がった。

繰り返し余震がやってくる。そのうち構内アナウンスで非常階段から地上に誘導するのでゆっくり順番に続けとのこと。全員一斉に階段に押しかけるなどパニックは起こらなかった。

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地上に上がって国際線ターミナルビルから国内線へ向かう循環バス乗り場の長蛇の列に並ぶ。先頭から1/3位の位置か?列最後尾ははるかかなたの後ろである。時折大きな余震がガラス壁を音を立てて揺り動かし、吊看板を大きく振らせる。空港警察がアナウンス「津波到達時間になりますので皆さんしゃがんでください」、津波が来たときにしゃがんでどうなる物でもないのでは・・・と思いつつ皆と同じにしゃがみこむ。後で聞くと羽田の空港島付近では50cmの津波だったとのこと。

津波警報が解除されないのと各ターミナルビルをはじめとする各施設の安全確認のため、京急、モノレールはもちろんバスタクシーにいたるまで交通規制がかかっていたようだ。結局15時から18時近くまでほとんど立ちんぼの状態でここを動くことが出来なかった。ようやく循環バスが動き出し、第二ターミナルビルにたどり着くことが出来た。

予想通り出発ロビーのカウンター前は文字通り十重二十重の長蛇の列であった。大阪伊丹行きはすでに19時の便まで運休の表示が出ていて、伊丹行き最終便の41便のみ残っていた。但し搭乗手続きは中止されていた。私は幸いにも41便まで予約していたので悪いなと思いながら優先チェックインカウンター(こちらも10人ほど並んでいたが)で仮チェックインしてもらい保安検査場を通過、ようやくラウンジにたどり着くことが出来た。

ラウンジで地震発生の少し前に着いた同僚と出会い、一緒に運行が開始されるのを待つことに。が、結局頼みの41便まで運休となりあわてて関空行きの149便、そして関空最終便の975便の空席待ちの手続きをとった。Aの36番ということは最優先カテゴリの36番目と言うことで、恐らく微妙な順番?そうこうしているうちに149便も運休になってしまったが、975便はネットで間歇的に空きが確認できる状況になってきた。PCと携帯サイト、両方を駆使して繰り返しキャンセル予約を確保しようとするが、なかなか取れない。結局PCはダメで携帯サイトで一席確保できた。同じように同僚も確保できたようで、これで飛んでくれさえすれば今日中に大阪へ戻れそうになってきた。

結局21時発の975便は欠航にはならなかったものの、21時15分→45分と遅延を重ね、45分にゲートに並んだものの乗務するCAの空港到着が遅れ搭乗できたのは22時頃、そして乗り込んだもののダブルブッキングで揉めている様で、明日の便に振替えする協力者に2万円を支払うとのアナウンスもあったが、移動するために乗り込んでいたCA5名が降りることで決着したようである。結局飛び立ったのは23時前であった。

関空までの機内は皆ぐったり、何人かがCAに文句を言っているのが聞こえてくる。文句つけてもしょうがないのだろうが言わずにいられないのだろうなぁ。CAの宿命。

関空に着陸したのは23時50分、当然JRも南海も便は無く、ANAが梅田や難波など7方面行きの無料バスを仕立てて運行するとのこと。梅田行きのバスに乗り込む。乗り込む際に搭乗半券の提示が必要。湾岸線経由で大阪駅西口に到着したのが0時50分くらい、タクシーを拾って自宅にたどり着いた時には午前1時30分になっていた。疲れた。


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